拡大するソーシャル・オーディット市場
世界では、どのくらいの実施件数のソーシャル・オーディットが実施されているのか———筆者の知る限り、ソーシャル・オーディットの実施件数などの規模を示す網羅的な統計は存在しないが、このコラムでは、いくつかの関連情報を手掛かりにソーシャル・オーディット市場の規模について考察してみたい。
そもそもソーシャル・オーディットは、監査サービスを提供している監査機関に依頼して行われるものと、企業が自前で行うもの大きく2種類が存在する。このうち前者に関しては、独立したソーシャル・オーディターの業界団体であるAssociation of Professional Social Compliance Auditors(APSCA)に、101カ国・54の監査機関が加入しており、4,050を超える監査人が登録されている。そして、その市場規模は300億米ドルを上回ると推定されている[1]。また、モニター・インスティテュートによる別のレポートでも、ソーシャル・オーディットの市場規模は361~671億米ドルの範囲にあると推定されている[2]。第三者によるソーシャル・オーディットが、一定の規模を持つ一つの「産業」となっている様子が窺える。
もっともこの数字には、企業が自前で取引先工場などを対象に行うソーシャル・オーディットは含まれていない。今日では、グローバル企業を中心に、サステナビリティや社会的責任に配慮した調達行動を推進するための専門部署や専門チームを設けている企業が少なくない。そうしたものも含めると、ソーシャル・オーディット全体の規模はさらに大きくなるであろう。
ここで切り口を変えて、個々のグローバル企業に着目してみたい。個々の企業は一体どのくらいの件数の監査を毎年行っているのだろうか。この点に関しても、筆者の知る限り網羅的な統計は存在しないが、監査を積極的に行っているとされる企業の中には、年間に数百を超える規模の監査を行っているところが少なくない印象だ。
例えば、2006年にソーシャル・オーディットを初めて実施したアップルでは、2007年に行った監査がわずか39件だったのに対し、2014年には633件(うち、新規実施先が210件)にまで拡大している(図1)。またユニリーバは、年間の監査件数自体の情報開示は確認できないが、同社が2018年に行った監査を通じて、同社の「責任ある調達方針」に対する不適合が延べ7,869件見つかったことを報告している(図2)。
図1:Appleにおける監査件数の推移(2007年―2014年)
出所:Apple “Supplier Responsibility 2015 Progress Report”をもとにKSI作成・仮訳
図2:Unileverの監査による「責任ある調達方針」への不適合件数(2018年)
出所:Unilever “Human Rights 2019 Supplier Audit Update”をもとにKSI作成・仮訳
こうした監査には、企業が自前で行う監査と、第三者の監査機関に依頼して行われる監査の二通りが存在するが、いずれの場合であっても、監査にあたっては、監査員が現地に赴く必要がある。また、通常2日程度をかけて2人程度のチーム体制で監査が行われることに鑑みれば、ソーシャル・オーディットに対しては、毎年相当程度のリソースが割かれていることがうかがえる。
ソーシャル・オーディットは、1980年代頃から行われるようになり、90年代以降、グローバルに広がっていったとされる。その背景にあるのは経済のグローバル化である。対外投資や貿易の制約が緩和されたことで、製造業がより安価な労働力を求め、生産拠点を途上国に移転するとともに、小売やブランドを中心に、自社で製造するのではなく他社から調達するというビジネスモデルの転換が進んでいった。発注先である途上国のサプライヤー工場における労働者の搾取的な取り扱いが社会問題化し、企業批判が巻き起こった。製品の不買運動に発展したケースも少なくない。こうした事態を受けて、サプライヤーにおける人権侵害などの実態を確認するための監査が行われるようになった。同時に、電子機器・アパレル・製薬・ジュエリーなど特定の業界に特化したサプライヤー行動規範の策定や、それに基づく認証枠組みも相次いで誕生していった。ここでも行動規範への順守状況を確認するために監査が欠かせない存在となっている。
こうした監査の取組みはあくまで民間による自主的なものだが、今日では、米国カリフォルニア州サプライチェーン透明法や、英国現代奴隷法などのように、法的な枠組みの中に民間の監査が事実上組み入れられる例も増えてきている。サプライチェーンにおける人権侵害などの課題は法域をまたいで存在することから、国の法制度と言えど、民間の枠組みに頼らざるを得ないという実情もあろう。いずれにせよ、こうした潮流を踏まえると、ソーシャル・オーディットが果たすべき社会的役割は今後さらに高まっていくようにみえる。同時に、法令に基づく強制力や権限を持たない民間の枠組みであるがゆえに、いかにして監査の質(実効性)を高めていくかという点にも、今後ますます関心が集まることになりそうだ。
[1] https://www.theapsca.org/(2020年12月13日アクセス)
[2] Monitor Institute “Responsible Supply Chain Tools: Understanding the Market Opportunity April 2019” https://www2.deloitte.com/content/dam/Deloitte/us/Documents/about-deloitte/us-about-deloitte-humanity-united-responsible-supply-chain-tools.pdf(2020年12月13日アクセス)